ワクチン含め、急な需要にはお応えしません

久しぶりにブログ投稿します。
新型コロナへのワクチンの確保に関するニュースが賑やかですが、今更何を、という思いが強いです。
ワクチンを確保するには
イギリス(UK)とEUとの間で、ワクチンの確保で政治的な綱引きをしています。当初想定していた数量のワクチンを確保することが難しいという現実に直面したからです。
日本も、オリンピックを開催したいという思惑から、開催前の6月までにワクチン接種で一定の実績を上げたいと考えています。
ワクチンを製造するには時間がかかります。それ以上に、効果と安全性を確認するのに時間がかかります。いわゆる「治験」というものです。効果と安全性が認められてから、ようやく厚生労働省に申請され、認可が得られてから、初めて使用することができるようになります。
しかし、使用できるようになってから注文を入れることになるので、認可が得られてもすぐに接種できるわけではありません。在庫が豊富にあれば、速やかに供給できます。
需要よりも供給能力が上回っていれば、そうなります。でも、今は完全に需要が多く、取り合いの状態です。訴訟を避けるには、公正なルールで供給していることを、製薬会社は証明しなくてはなりません。
供給の公正さを示すには
最も手っ取り早いのは、注文を受け付けた順に供給するというものです。早い者勝ちです。買い占めによる不道徳さを許してしまうリスクがありますが、注文順に対応するのは単純明快で、透明性を持たせることができます。証拠も十分にあるでしょう。
その次に取りうる方法としては、過去の実績などの指標を利用して、供給量を公正に配分すること、Allocationといいます。コロナのワクチンの場合は、過去の購入実績がないので、注文数量の比率を使うかもしれません。つまり供給能力が需要に対して60%なので、注文数量の60%だけ供給します、というもの。
工業製品の場合、「去年の出荷実績が全体の37%でしたので、今供給できる数量の37%の供給といたします」というAllocationにすることもあります。
特定の顧客に便宜をはたらいていないか?との疑念を生じさせることがないように、慎重な対応が必要になります。
尤も、需要を上回る供給ができれば問題ないように思われますが、過剰生産能力はコスト増であり、収益を悪化させます。理想は、需要を満たすだけの供給能力です。多すぎても、少なすぎても問題です。
経済原理と倫理の問題
民間企業がワクチンを開発し、生産し、販売する以上、経済原理から外れた行動は取れません。「善」のために「損失覚悟」で企業活動を行うわけにはいかないのです。なぜなら、誰にも平等な「善」はないから。
あなたにとっての独善的なものは、別の人にとっては圧倒的悪になりうるから。
徹底的な準備は?
そんな現代において、準備を怠ればそのしっぺ返しは大きくなります。
オリンピック前にワクチンを準備して、コロナ問題に目処をつけたいと思うならば、逆算して、
- いつまでにワクチンを用意する必要があり、
- そのためにはいつまでに安全性と効果の確認を完了させ、ワクチンを認可するか、
- そのためには、どのような規模とスピード感で治験を実施しなくてはならないか
といった、具体的な工程計画を立て、一つ一つ確実に実施しなくてはならないわけです。最近になって、担当相を任命したのでは遅すぎるでしょう。ただ責任を取らせたいだけではないですか。
ことはコロナに限らない
昨年からのコロナ流行により、経済活動は2020年夏まで停滞しました。それが急激に回復し、工業生産は一気にV字回復していて、素材関連の需要が供給能力をはるかに上回り、素材の値上げの報道が喧しいです。半導体をはじめとして、供給不足による生産調整の報道もなされています。
先に述べたように、需要に合わせた生産能力の最適化を常に行なっているため、急に需要が増えたからといって供給能力を上げることはできないのです。それが理解できていない日本人がいかに多いことか!
仕事柄、今更慌てられても、もう遅いのだよ!と突き放したくなる話ばかりです。嘆かわしいです。なぜ、準備できなかったの?と。
その場凌ぎばかりしていると、乗り遅れるばかりか、最悪ガセネタや詐欺に捕まってしまいます。強訴すればなんとかなる、「お客様は神様だろ?」という厚顔無恥な要求は困ります。もう、日本のお客さは特別です!と揉み手でよってくる供給者はいないのです。ああ、面倒なやつきた!と思われているのに気が付かない。
もう、日本は終わった国なのです。そこに危機感を持たないといけないのに。